相場師の歴史ウォール街の魔女ヘティ・グリーン 一番記憶に残る相場師です。 この話のヒロインは、100年前に実在しました。 その女性は、ヴァーモント州の夫と別居して、子供二人と一緒にブルックリンの安アパートに偽名で住んでいました。別居といっても、夫婦仲が悪いわけではありません。 彼女には、ニューヨークで働く必要がありました。 また、偽名を使っているのには、後で述べる明確な理由があったのです。 クェイカー教徒の彼女の朝食は、冷たいオートミールでした。燃料代を節約するため、温めずに食べるのが習慣です。彼女は、擦り切れた一張羅(いちょうら)の服を着ていました。服は、一番下に着るペチコートしか洗わないので、少しすえた匂いがしました。他人がどう思うかより、水を節約する方が彼女にとって重要でした。 彼女は、穴の開いたボンネットを被り、乗合馬車で出かけます。 しっかりと胸に抱いたが鞄には、特価で買った昼食用のクッキーのくずと株券の束が入っていました。腰には、鍵の束。 彼女は、乗り合い馬車を降りると、大理石で出来たケミカル・ナショナル銀行の正面玄関に入っていきます。銀行中の行員が、彼女の方を振り向きます。彼女は、不審者として摘み出されるのでしょうか? 燕尾服を着たケミカル・ナショナル銀行の頭取が、愛想笑いをつくりながら、ホームレスのような彼女に近づき挨拶します。 「ヘティ・グリーン様、いつも弊行を事務所として、お使いくださり、感謝しております。」 ヘティ・グリーンは、みすぼらしい女性の名前でした。彼女は爪に火を灯して、貯蓄するだけでなく、卓越した投機家でもありました。彼女の資産は、約1億2000万ドル。今の価値で換算すると、1兆円ぐらいでしょうか。 ヘティは、19世紀末、女性では世界一の金持ちでした。 おとぎ話のような贅沢な暮らしが簡単に手に入るのに・・・・このアンバランスな生活。 ヘティは、ギネスブックが公認した世界一のケチでもあったため、ウォール街の魔女といわれるようになります。腰の鍵は、ケミカル・ナショナル銀行の個人事務所にある金庫の鍵でした。 金庫には、巨額の株券、公債、貸付証書がぎっしり詰まっていました。夫の住むヴァーモント州は、税金が安いことで知られていました。ここに住民票を置いたまま、偽名を使い安アパートを転々として、徴税人の目をくらまし、脱税をしていたのです。 ヘティは、1835年、富豪のクェイカー教徒の夫婦の一人娘として、生まれました。幼いときから、視力の衰えた祖父のために新聞の経済欄を読まされました。父親が、金を取り立てるのに喜んでついて行くほど、彼女はビジネスが好きでした。 1860年代の初め、両親が相次いで亡くなり、100万ドルの遺産と400万ドルの信託財産がヘティに残されます。 一生遊んで暮せる、資産です。 1861年4月12日、「リンカーンの奴隷制の廃止」に反対した南部諸州が サムスター要塞を砲撃して、南北戦争が始まります。ヘティは、親戚と戦火を逃れるため、ロンドンに疎開します。戦局はロバート・リー将軍の活躍で、南軍有利。このまま南軍が勝てば、アメリカ公債は紙くずの可能性もあります。公債価格は、暴落します。 相場師へティは、ここで生まれて初めて大勝負にでます。 二束三文のアメリカ公債を買い捲ったのです。「今は劣勢でも、工業力に勝る北軍が最後に勝つ」というのがヘティの読みでした。 ・・・そして、約3年半後・・・ 1865年5月南部連合国のディビス大統領が逮捕され、北軍が勝利します。 アメリカ公債は、連日暴騰して、ヘティは数百万ドルを稼ぎます。1867年、へティは、フィリピン貿易で財を成した大金持ちエドワード・グリーンと結婚します。結婚の条件は、それぞれの財産を別管理することでした。 後に、この契約は威力を発揮します。エドワードは、投資に失敗して1885年破産しますが、へティは影響を受けませんでした。ヘティは、株の資金の貸し手としても、有名でした。 大陸横断鉄道の将来性も見抜き、鉄道株への投機でもよく知られています。 コーネリアス・ヴァンダービルトの株価操作事件は、彼女が主役として登場するようです。ヘティには、二人の子供がいます。息子ネッドと娘シルヴィアです。あの事件が起こったのは、最愛の息子ネッドが14歳の時でした。 ある朝、ネッドが泣きながら、ヘティに助けを求めます。 ネッドの膝が、異様に腫れ上がっています。 どうも脱臼しているようです。ヘティは、ネッドの脱臼を自分で直そうと努力します。足を引っ張ったり、捻ったり。しかし、ネッドは、泣き叫ぶばかりです。 彼女は、医者に連れて行く決心をします。 彼女の頭に浮かんだのは、貧しい者のために設置された、無料診療所! しかし、昔もらった診療券が、なかなか見つかりません。券をやっと探し出すと大急ぎ・・・乗り合い馬車で、無料診療所まで行き、医者にネッドの足を見せます。医者は、ネッドの紫色の足を診ると驚き、直ぐに治療を始めます。 手当が終了すると、無料診療所の医者は、ヘティに宣告します。 「これは、完全に手遅れですね。一生、直らないかもしれません。」 ・・・それから5年後・・・・ ウォール街の魔女は、髪の毛をふり乱し、母親として号泣します。 「何故、もっと早く腕のよい医者に見せなかったのだろう。」 可愛いネッドの足は、合併症の治療のため、切断することになったのです。 このニュースは、アメリカ中を駆け巡り、「ヘティは魔女のようだ」と誹謗中傷されます。ヘティは、この事件の負い目から、息子を甘やかすようになります。 義足をつけたネッドは、人生のかなりの時間、ヨットを楽しむようになります。母親の金で、発明されたばかりの自動車を買い、贅を尽くした豪邸を建設します。1916年ヘティは、ネッドの豪邸で息を引き取ります。 1億2000万ドルの遺産は、6000万ドルずつ分割され、 息子ネッドと娘シルヴィアに相続されました。 ネッドは、相続財産を増やすことには興味がなく、散財を続けます。 シルヴィアの方は、慈善事業に熱心でした。 二人とも母親には、似ていなかったようですね。 さて、最後に彼女が亡くなったときのニューヨークタイムスから。 ◆◆もし、ヘティが男性だったなら・・・◆◆ ◆◆ 莫大な財産を増やすために身も心も費やしたとしても、◆◆ ◆◆人は特にそれを変わっているとは思わないであろう。◆◆ J_COFFEE氏ブログ相場師列伝8より 彼女のやりきれない後悔と、気丈に勝ち抜いてきた相場師人生。 気持ちが痛いほど分かります・・。 ジャンル別一覧
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